Life is walking インタビュー 山本真司

07/16/2015
Posted by wpmaster

_1324447870_101_book_yamamoto

まずは、自己紹介をお願いします。なぜそのようなことをやろうと思ったのですか?

私は、約25年以上経営コンサルタント業に携わっておりました。BCGを経て、A.T.カー二―では極東アジア共同代表、戦略事業部のアジア代表、ベインアンドカンパニーの東京の代表パートナーなどの経営職にも付いてきました。我が国を代表する大企業の30年に一度の大変革を成功に導くお手伝いをしてきたり、ダイナミックな経営変革の世界に生きてきました。現在は独立しております。では、なぜ、今回「神保町ウォーキングテラス」の立ち上げに参画したのか?3つの大きな理由があります。①非連続の変化を起こしたい。大企業でも大きな仕事はできます。しかし、固定投資、固定費の壁から思い切った非連続の改革に立ち向かうことが難しいこともあります。制約条件抜きで、ただただ個人の才能とパッション、行動力で非連続の世界を築きたい。それは、こうしたスタートアップで行うしか無いという理由です。5年前に、大きな実績を上げてきた外資系コンサルティング業界を去り、個人のコンサルタントとして独立し、現在、大企業向けのコンサルティングの傍らで、若者のスタートアップ起業へのエンジェル投資の会社を設立し、非連続の変化に立ち向かう起業の応援を始めています。その活動のコアが本案件です。②解けない課題に正面からぶつかる。大企業では、数年先を見ての商売で勝負せざるを得ません。それだけ株主の目は厳しくなっています。しかし、逆に、数十年先の食糧危機、近い将来の財政危機、社会保障制度の崩壊などの大きな、大きな課題解決には、なかなか本腰を入れられないこともあります。まっすぐに、正攻法でこうした課題に立ち向かいたいというのが第二の理由です。今回は、未病促進が最重要のテーマです。医療費に金をかけないためには、健康で生き続けるのが一番です。そのための根本が歩くという身体負荷の小さな健康維持促進手段だと思います。いわば、場を作り、そして文化を作ること。習慣を作ることで新しい世の中を作ることが社会経済の根本課題の解決になると信じるからです。本案件以外に、海外農業事業にも投資をして支援しています。将来の食糧危機への事前の対応でもあります。③最後に、若者を支援するという目的の完遂です。30代なかばの前後で、社会的にディバイドが生じていると感じています。上の世代は、自分が生き抜くことに精一杯生きています。下の世代は、自らの世界を作るのに必死です。架け橋がありません。私はすでに上の世代ですが、持てる資源を若い世代の支援と成功にために使うべきであると信じています。それが我が世代の義務であると思っています。五十嵐くん、鈴木くんという30代前半世代の成功を後押しするのは、私の義務だと思うからです。最後にウォーキング経験が、本事業に参加をする決め手になりました。かつえ、「35歳からの『脱頑張り』仕事術」という本を出した時の最終章のメッセージが「仕事に疲れたら、ゆっくり歩け」という文言でした。ビジネスで疲れ、発想に行き詰まり感を感じた時に、ゆっくり歩き、周囲から新しい刺激を受け、いつも見れていないものを見ることで、発想が飛ぶのをなんども経験しています。そうしたウォーキングの効用は、カントの生活習慣からも明らかです。ウォーキングは、人生を買えてくれたという経験も、大きな動機です。

 

・最近、嬉しかったことがあれば教えてください。

2009年に独立をしました。事業は順調です。昨年に、パッション・アンド・エナジー株式会社というスタートアップ投資の会社を設立しました。本件で海外農業案件につづいて投資は本案件で二件目になります。海外農業、医療(未病)という社会的意義の猛烈に大きな分野で、才能ある若手と組める機会を得たことが最大の喜びです。第三号は、水と森をテーマにしようと思っています。森、水、農、食、運動、健康というキーワードでつながるエコシステムを創りあげたく思っています。そういう世界に生きられることに幸せを感じています。

 

・小さい頃はどのような子供でしたか?大学時代の過ごし方は?

小学校入学前に重度の小児喘息で、約1年、国立小児病院に入院していました。身体が弱い子供でした。原因は横浜生まれ横浜育ち故に京浜工業地帯の撒き散らす空気汚染だろうと思われます。小学生の時も、通院で勉学は遅れ気味でした。18歳の浪人時代に、喘息の大発作を起こして、勉強どころではない日々も過ごしました。どちらかと言うと内向的で、自分の世界に閉じこもる傾向が強かったと思います。その後は、健康を取り戻していますが、20代でアメリカのシカゴ大学のビジネススクールに入学した時は、勉強のし過ぎでメンタルが非常に悪くなり、イルネスには至らなかったものの、危険な状態の一歩手前までゆきました。しかし、特に大学院では、オナーズ論文で研究を志し、なんとか卒業時には、表彰される作品に仕上がりました。その自信もあって、その後回復し、経営コンサルタントの激務をこなすこともできるようになりました。苦労の多い学生時代だったと思います。自分も大切ですが、他人を大事にするという気持ちが強くなったのは、辛い学生時代の経験の賜だと思います。

 

・今まで大変だったことはありますか?ずっと大変な人生でした。大学卒業後は、安定していると思われていた銀行業界におりましたが、留学で武者修行に勝ったという意識から、銀行を飛び出し、魑魅魍魎の外資系コンサルティング業界に転じました。アップオアアウトと言われる厳しい業界で、なんとか、日本人としてトップのポジションにもつけたのは、この間、幾多の艱難辛苦に耐え、克服出来たからだと思います。新しいこと、リスクのデカイことを成功に導くことが生きがいになってきました。これも、一貫して苦しんだ人生の経験のおかげだと思っています。

 

・今後のさらに展望があれば教えてください。一言宣伝やメッセージ等あればどうぞ。

私が、神保町ウォーキングテラス事業で果たす役割は、この小さな活動を、事業的にも巨大なものに生長させ、国民のいや、世界の文化、習慣を変える事業にまで持って行くことです。私の良き大企業との関係、心ある事業家とのお付き合いと言った過去の資産、そして、現在進行形で築きつつ有る志高い若者との関係にテコを効かせて、本事業を、正しい方向性で大きくすることに邁進したいと思います。それができる仲間を得たと思っております。ご支援のほどよろしくお願いいたします。でっかい夢を実現させます。

 

山本真司

慶応義塾大学経済学部卒業。シカゴ大学経営大学院終始(栄誉MBA取得、全米成績優秀社協会会員)株式会社東京銀行、BCGを経て、A.T.カーニー極東アジア共同代表、戦略グループアジア・パシフィック代表、ベインアンドカンパニー東京代表を歴任。現在、株式会社山本真司事務所、パッション・アンド・エナジー株式会社代表取締役、江戸サバンナ株式会社CSO。他に立命館大学経営大学院客員教授、慶応義塾大学健康マネジメントスクール講師なども務める。新潮社「40歳からの仕事術」、PHP研究所「30歳からの成長戦略}、「35歳からの『脱頑張り』仕事術」、「実力派たちの成長戦略」、講談社「会社を変える戦略」、東洋経済新報社「儲かる銀行をつくる」、「コンサルティング業界ハンドブック」、近代セールス社「ビジネスで大事なことはマンチャスター・ユナイテッドが教えてくれる」、ダイヤモンド社「20代仕事筋の鍛え方」などの著作多数。前早稲田大学スポーツ科学大学院客員教授、前静岡県サッカー協会評議員。


 

Comments are currently closed.

Tag Cloud