Life is walking インタビュー 増田真樹

07/17/2015
Posted by wpmaster

・まずは、自己紹介をお願いします。なぜそのようなことをやろうと思ったのですか?

masukin

TechWaveという新興メディアを個人を中心としたグループで運営しています。IT関連の事業者向けのニュースやインタビューを主にオンラインで配信したり、1日あたり数千人が参加するイベントを企画したりしています。
それまでは、ITビジネスの立ち上げ屋でした。今流行のIoT系からハード、アプリ、ウェブまで、日本とアメリカ、数名の起業グループから大企業の中までスタートアップを数十経験してきました。
ただ、他の人と違っているのは、立ち上げたら抜けるんです。ビジョンがあり目標があるところに飛び込んで、企画し、設計し、開発を指揮し、マーケティングを仕掛け、上に向きはじめたら抜ける。
抜けた後は、ライターとして雑誌に記事をかいていました。ITの世界は変化がはやいので、その中で体験しない限りみえないことがあるからです。書いてまたスタートアップへ、そしてまた書いて、の繰り返しです。
TechWaveは、書くということ事業をつくることを同時にやっています。5年前にスタートし、この2年間は休眠していましたが、まさにこれから法人格を設立し、仲間を集いながら本格的に事業を展開していこうとしています。
なぜ、こんなことをやっているかというと、ITは人間の可能性を拡張する可能性が最もある領域だからです。ITのことを伝え、自分でもその可能性に挑戦する。
遡ればまだ6ー7歳の頃、コンピューター(当時のマイコン)というものに出あいました。当時は「すごくおもしろそうなおもちゃ」程度にしか認識してませんでしたが「機械が生きてる」ように思い衝撃を受けました。
小学校低学年でプログラミングを学びゲームなどを開発し、家はゲームセンターのごとくでした。けれども、それを自分の親や(ゲームに関心のない)友人に伝えても、あたかも関係ないのごとくシレーっとしてるんです。これからの10年、20年でITと無関係にはなれない社会になるというのに!

それからの人生は、「ITを一般化する」という使命の中で啓蒙活動に従事しました。すでに当時から流行だったゲームなどに乗るのではなく、当時はまだなかったウェブやメールの一般化を願っていたんです。
つまり、ここまで革新的なITというのは、単一の商品としてだけでなく、人の考えや行動を大きく変える媒介としての力をもつということに気がついたわけです。だから、今、その融合体としての領域に挑戦しようとしています。

 

・最近、嬉しかったことがあれば教えてください。
「大変だよね。何か一緒にできればと思うんだけど」ってメッセージがくると神に祈りをささげるような感動的な気持ちになります。
世界にちらばる仲間とのつながりが密になってきたことがとてもうれしいです。
自分は栃木県宇都宮市に住んでいて、家族の時間を重視しています(病人や子供の世話という都合もありますが)
時には東京、時には海外、いつも仲良しの人とつるんでいるわけにはいきません。
だからこそ、距離が離れていても、互いのことを思い、ねぎらい、共に前進しようとする仲間と意識のなかでつながっていられる今の日常に感謝しています。

・小さい頃はどのような子供でしたか?大学時代の過ごし方は?
冒頭で子供の頃の話をすこししましたが、仲間に恵まれていました。
当時、転校生が多い地域で、海外からの人とも出会っていました。不良から優等生まで、誰もが親しい仲間で、親よりも仲間と共にすごすこと、その経験をよりたのしい(といってもやんちゃではありませんでした)ものにできるかをいつも考えていました。
ただ、高校生から社会人くらいは、どんどん仲間といえる人と別れることになり、残念な気持ちにつつまれていました。その反動で、元々得意だった絵、詩、音楽など創作活動に注力するようになります。内向きな人間になりました。

 

・今まで大変だったことはありますか?
なんだか、ずっと大変なことばかりでしたが、おおきくは3つあります。
1つ目は、お世話になった人たちとの関係を断ち切り、一人でしらない街で再スタートした時。
2つ目は、子供が生まれるたと同時に、家内が病気になり、激務の中、子育てと看病をしていたこと(第一子、第二子とも両方)
3つ目は、プロジェクトからお金も人もいなくなり、かつ事件のあおりで売上もゼロになったこと
細かくは説明しませんが、派手な行動を取る人間だったため、普通の会社にいると風あたりがどうしてもつよくなります。他者を尊重したい気持はあるのですが、ダメなものはダメとはっきり言って改善解決しないと気がすまない性格で、そのため、コンサバティブな人達や文化と衝突することがありました。流されれば楽だったし、その方がプラスかもしれなかったのですが、できなかったです。
その理由は、親しい仲間と恩師を何人も先に亡くしてしまったことにあるように思います。
たった一人の幼なじみは交通事故で、大切な恩師と仲間は共に事業をやろうと心に誓ったものの、私の2つ目の大変事案の中、何かの不安を抱えていたのでしょう死を選びました。
彼等彼女らに共通するのは、自分のためではない、誰かのために行動する人間だった点です。
あんな素敵な人間が死に、プライドとか利益とか自分のことばかり考えている人がのさぼっていることが許せないという気持ちが強くなっていったのです。
ただ、結局、その怒りや強い思いは、私自身に反動として帰ってくるのですね。
自分の力の矛先は、世界規模のプロジェクトに関与するなど前向きに拡大していくのですが、やはり極端な思いは、組織や普通の人とは相見えない、つまり、いつしか、前にすすむ力に自らブレーキをかける負の連鎖ができていたんです。それに気がつかないまま、悩みつくし、どんどん沈んでいくことが本当につらかったです。

 

・今後のさらに展望があれば教えてください。一言宣伝やメッセージ等あればどうぞ。
今、やろうとしていることは、これらの経験の集大成です。
自分の思いや価値観をはっきり掲げ、やりたいことを世界レベル成長させてゆく。
大変なこととか、壁とか、色々あると思うのですが、それを理解しあえる大切な仲間と共に、その価値観が主体となる環境を作ってゆこうと思うんです。
Life is a journey.
Keep Walking.

 

増田真樹

TechWave編集長。
MetaMix Media Technologies CEO
8才でクリエイター、12才で起業。18才でライター。道具としてのIT/ネットを追求し、日米の先端シーンに身を置きつつ生み伝えることを生業として今ここに。
1980年代末 執筆活動およびネットメディアクリエイターとして活動開始。1990年代は独立系R&D企業にて、ネットワーク関連ハード&ソフトのマーケティング部責任者として活動。 シリコンバレーに頻繁に通い、ベンチャー起業等と提携し国内販売網を開拓する。独自企画の製品をプロデュース、世界大手ソフト企業などとも協業を展開する。
個人の活動においてはネットメディアを活用したIoT企画やそれを応用したアート活動が評価され世界的写真家Rick Smolanによる作品集「CyberSpace in 24hours」の数少ない日本人被写体として現MITメディアラボ所長伊藤穣一氏らと出演。
1996年独立後、アスキー、日経BP、インプレス、毎日コミュニケーション、ソフトバンク、日経新聞など多数のIT関連雑誌で執筆活動を再開。週刊アスキー特集「○○の全て」シリーズを確立するなどITテクノロジー啓蒙の分野で一定の成果を挙げる。1998年に米国シリコンバレーで個人向け証券情報サー ビスベンチャーの立ち上げに参画。サービスローンチ後帰国。
ネットエイジでコンテンツディレクターとして複数のスタートアップに関与、関心空間(取締役)でビジネス領域の拡大、ソニーのブログ等ネットメディア立ち 上げ(アドバイザー)、リニューアルプロジェクトとしてNILEPORT、@cosmeなどに関与。その他、多数のブログサービスやSNSのサイトで立ち上げに関与。坂本龍一さん等が参加するcodeのブログなどの運営なども。休眠後、大手携帯キャリア公式ニュースポータルサイトの立ち上げで編集デスクとしてゼロから数億PV/月に育てる。
2010年1月、元時事通信編集委員
湯川鶴章氏のTechWaveに参画、同年10月副編集長。2013年にTechWave編集長に就任。独自視点の新興メディアとして事業開発などを手がける。 2014年2月、アプリ紹介メディアの世界大手Softonicの日本編集長に就任。グローバルチーム一員として日本→世界のプロジェクトで成功を生むも、本社事業の急転により離脱。
変化し続ける高エネルギー生命体
@宇都宮ー地方から全国、世界へを体現中。


 

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